「今の私は、どんな人も生きているだけで奇跡だって、本気で思っている」
わけなんです。

そして、それは、10数年前の私にとっては
「うわ~きれいごと」
だったんです。


虚栄心とか見栄とか


私は、頑張っている自分しか価値がないし

プロセスが大事っていうけど、プロセスってなんですか?
それって、なにか意味あるんですか?
結果がすべてじゃないんですか?

向上心を超えた見栄とか、虚栄心とか、上昇思考とか。
プライドの高さとか。

競争心も理想もかなり高かったんです。

さらに私には、ガンガン突っ込んで行けてた猪突猛進もあり、
その裏には恐怖心や罪悪感やらなにやらが、だいぶ麻痺していた気がします。

麻痺が回復してきて
それはもう、恐怖心やら、罪悪感にまみれた時期がありました。


縁側

発達障がいの息子が生まれて


私の麻痺が回復してきたのには
「私の息子が、発達障がいの診断を受けた」
ことが、とても大きかったです。

自分のこどもがまさか、障がい者なんて。
私が、どれだけ人をジャッジし、レッテルをはって、生きてきたか。
そして、自分にも。

そのジャッジやらレッテルが、自分をどれだけ追い込み、否定し、劣等感でいっぱいだったか。
それらを押しやって、蓋をして、必死で戦っていたものが
蓋があいて噴き出してきたようでした。

でもです。
そのすべてを凌駕するほどの、息子のかわいさ。

そして、息子も周りからも大切にしてもらっている姿を見ました。
そして、療育やデイサービスで出会うさまざまな障害を持ちながらも、懸命に生きる息子のお友達やその親御さんをとおしても

すべての命が、奇跡なんだ。
産まれてきてくれて、生きていてくれることが、どれだけすごいことなのか。

痛感したんです。

そしてなにより。
なんだ私も、けっこう発達凹凸の傾向強いじゃん~。
気付いてしまいました笑。

すすき

ジャッジやらレッテルがなくても


私が、なぜ、それだけジャッジやらレッテルやらを、人や自分にはりまくっていたのでしょうか。

「自分には、これがある!
産まれてきて、これをしたかった!」

というものを、探したかったし、全力でやり切りたかったんだと思います。
生きているって、実感したかったんだと思います。

でも、
全力でやり切る前に、自分へのダメだしがすごすぎて
途中で逃げ出していました。
今すぐ向上しなければと思いすぎて、今のだめな自分に耐えられなかったんです。

どんなに否定しようと、肯定しようと、今の自分は、今の自分。
諦めもありながらも、もう、レッテルもジャッジもなく、
初めて、自分も直視したんだと思います。

そうしたら

必死に自分を否定して
自分を追い込まなくてもよくなったことで

本当に一番したかったこと、
「カウンセラー」
という仕事を

自分に生まれて初めて
地道に地味なことからこつこつと一歩下がって二歩進むでもいいから、
「もう、本当に自分が一番したかったこと、全力で最後までやってみよう」
と、言ってあげることができました。

うさぎ



存在そのものに価値があり、奇跡である


人にはったジャッジやレッテルは
必ず「投影」という形で、自分に無意識で返ってきます。

そうすると、無意識では、自分の劣等感が刺激されますから
そのぶん、必死で踏ん張れる、向上できる、頑張れると感じているかもしれません。
きっと、それだけのプロセスや結果も、残されてきてるのだと思います。

でも、もし、
必死に自分を否定して
自分を追い込まなくても

ただただみなさんが

「存在そのものに価値があり、奇跡である」

と、思えた時

りきむことなく、
他者に価値やら承認してもらいたいとかでもなく

生きているだけで奇跡なあなたが与えるすべてに
当たり前に価値があり、奇跡であることも

受け取れるのではないかなと、思います。

間もなくクリスマス。

失ったり、どんぞこに傷ついたり、損ねたりしてから、
「どれだけ奇跡だったかを気づく」

より

今あるどんなあなたも今、ここにいることの奇跡を受け取れて
あなたらしい人生を生きられますように!

satuei