昨日、映画「ラーゲリーより愛をこめて」を、見てきました。
本当にみてよかった映画です。

戦争と戦争後のシベリア抑留のなかで
「生きること」「記憶すること」とは、なにか?
を、たくさん見せてもらいました。

人間としての尊厳のかけらもないような、日々。
終わりがいつくるのかもわからない。
「家族に会いたい」
という願いだけを支えに生きた。
でも、訪れる病。

仲間と助け合うこと、ともに生きること。
離れ離れになっても、「家族」という絆がどれほどのものかということ。

生きるか死ぬかの時代のなかで、絶望することの意味。
どれだけ時代に恵まれていても、それでも私たちは生きる意味を失うこともあります。

でも、映画のなかでは、喜びがなにもなくても、いつまで続くかわからない壮絶な状況のなかで
「希望すらなんにもなくても、生きるんです!」
と、言える強さ。

私たちは、日本における戦争体験者の生の声を聞けた最後の世代です。
まだ、私たちはあの出来事が
「歴史の出来事ではなく、実際に祖父母が体験した」
ことだと、知っている世代です。

それを、私たちが記憶すること。

私たちは記憶したことだけは、誰にも奪われることができません。
体の自由、表現の自由を奪われても、記憶の自由は奪うことができません。

なにを、私たちが記憶するのか。覚えておくのか。

そしてその覚えていたものを、私たちがどのように使うのか。

記憶の話は先日衝撃!!記憶を削除していた話
にも書いたので、とてもタイムリーでした。

私たちが生きる上で、なにを記憶するのか。

あなたは今、生きるのに疲れてしまっているかもしれません。
もしくは、希望にあふれているのかもしれません。

なにをしても無駄のように感じてしまうこともあるかもしれませんし、
なにをしても「全部が宝である」と、感じることもあるかもしません。

それはつまり「記憶そのもの」「生きることそのもの」でもあると、思うのです。

私は、本当に生きるのに疲れてしまったことも実際にあったし
自分のふがいなさ、やらかし具合に、生きている意味を失ったこともあるし

でも、今の私は
「その全部の記憶すらも宝だな」
とも、やっとやっと感じられるようになりました。
それは、やっぱりクライアントさんや、家族・仲間や恩師のおかげなんです。

この映画は、なかなか壮絶な体験を描いているので
見終わったあと、カラフルなショッピングモールの現実に戻ってくるのに
ギャップがすごすぎて。

「こんなにも食料がたくさんあって、どれを食べようか悩んでいる」
なんて、どれだけ幸せなことなのか。
私たちは本当に恵まれているのだなと、感じました。

でも、家に帰って、疲れはてました。
お昼寝してしまうくらいでした。

でも、映画から私たちが
「どれだけ大切な命が引き継がれて、今の私たちがいるのか」
そして
「彼らがどれだけ今の私たちに願いを引き継いだのか」
そのバトンを受け取ること

それはつまりは
「私たちが幸せに生きること」
であり、
「私たちは絶望するときもある。それでも、なんにもなくても生きる」
ことなのかもしれません。
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