今、私自身の最近のテーマは「遠慮」なんです。

そして、私のもとにお電話くださる方のみなさん
「ほんと~に遠慮深い方」ばかりなんです。

優しくて、思いやりが深くて、気が利く方ばかり。
共感力が強くて近くにいる人の

「こうされたら、いやだろうな」
「あんなふうにしたら、喜ぶな」

というのが、感覚でなんとなく感じる方ばかりなんです。

しかも最初は相手に

「こんなふうにしてあげたいな」
「これは、やめておこう。待ってみよう」

そんな気持ちを、愛から、喜びから与えるのです。
相手の笑顔も、私はうれしいし。
そんな自分にも、喜びを感じる。
そんな方、ばかりと毎日、お話しています。

でも、それがあまりにも板に徹しすぎていて
相手の人がそうしてもらうのが当たり前になってきてしまって。

自分も、愛や喜びから、選択していたつもりが
そうするのが義務のように感じられたりするようなのです。

本当は、それ、義務じゃないんですよね。
それ、選択、本当はできるんです。
でも、あまりにも自分がやりすぎてしまうと「義務」のように、感じてしまうものなんです。
そういう自分じゃないと、自分の価値が感じられなくなってしまう。

でも、そんなこと、ないんです。
そういう自分だから、価値があるのではなく。
本来は、生きている私たちそのものに、私たちは価値がありますから。

やりたくなければ、やらなくて、大丈夫なんです。
今、しんどかったら
「しんどい~」
って、言っていいんです。

悲しかったら
「悲しい」
って、本当は言っていいんです。

大事な相手でも、相手にやめてほしいことがあれば
「あなたのこと、大事に思うからこそ、やめてほしい」
って、言っていいんです。
関係が、壊れる前に、本当は言ったほうが、いいんだと、思います。

「それを気が付いてくれるのを、待っているんですけど…」

という、声にならない声が聞こえてきそうですけど。

たぶん、あまりにも与える姿勢が自然すぎて声にならない声に気が付けるのはそうとうの敏感な方以外、難しいと思います。

だって、自分でさえ、だましちゃうくらい、完璧な態度だから。

でも、私たちがせっせと与えてきたものを、みずから義務化し、限界を迎え
「もう、無理!!」
と、相手に爆発してしまったり、相手にも爆発できない場合、自分自身の体や心が動かなくなり、限界を迎えたり。
自暴自棄になったり。

それって、本当にもったいないんです。

つみあげた宝ものを、爆破するようなもの。
そうなる前に、遠慮しないで、本音で話してみませんか?

相手を、自分の本音を受け止めない人に、しないであげてみませんか。
相手のこと、小さく見積もらないってことです。

自分のことを、小さく見積もると
相手のことも、小さくどうしても見積もってしまうから。

私も、大切なことほど、「遠慮しないで素直でいる」を、実践してみようと思います!
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