生きづらさの一つに「人生に退屈している」というものがあると思っています。

仕事や家事に追われてても、心ここにあらず、なにかも退屈に感じてしまう。
まるで、心のエンジンが空回りしているような状態です。

ここでいう退屈とは単に「することがない」ということだけをさしません。

退屈とは

たしかに辞書には、退屈とは
「することがなく、暇を持て余している様子」
だと書かれています。

しかし、その退屈をさらに研究した心理学者シンシアフィッシャーによると

「『目の前にすることがあっても』興味を失って、集中しがたく不快を感じることを退屈という。なにかに関与したいと強く願っているにも関わらず、関与したいと思わせてくれるものが何もない状態」
であると論文発表されています。

「目の前のことに集中できないこと、関与したいと思えるものがない」という苦痛こそが「退屈」の本質だということです。


生きづらさと退屈と


ただ、生きづらさの真っ最中の苦しみの中、私がこのブログを読んだのなら
「何を言ってるの? 辛くて、苦しくて、困難を感じていて、退屈とは違う」
と、思うと思います。

私が生きづらさで最も困難を抱えていた時期に
「退屈なんだね」
などと、言われたら
「この苦しみを、この人全然わかっていない」
と、思い、その人の顔を見るのも嫌になるほど嫌いになったことと思います。

でも、今となり、振り返ると、生きづらさで困難を抱えていた時期、
「私はひたすら退屈していた」
のだと今はわかります。

集中したい私たち

ここで大事なことは、「目の前のことに集中できていないこと、退屈を感じている自分」を責めることではありません。

退屈さを抱えるまでに、それほどまでに
「自分はなにかに集中したい、なにかに関与したいということを熱望している」
ということが、大事なメッセージであるということです。

もっというなら
「熱狂するくらい没頭したいなにか」
を、熱烈に求めているといっても過言ではないと思っているのです。

退屈は死ぬことよりも苦しいくらい、生きづらさとなる

「退屈は死ぬことよりも苦しい」
と感じやすいということを、心理学を通して学びました。

さて、私たちが最も集中できるのはどんなときでしょうか。

・痛み
・恐怖
から逃れる時です。
これは、太古の時代から、外敵に襲われることから生きて逃げだせるように本能的にプログラムされています。

高度に発達した人間が、退屈という苦痛から逃れるために、集中できる出来事、つまり、痛みや恐怖を自ら作り出してしまうことがあります。

私自身も、自己破壊的行動をしてみたり、自暴自棄になっていた時期を迎えていますが
退屈という苦痛から逃れるための苦肉の策だったのだろうと振り返ります。

集中できるものを見つける

この生きづらさは、目の前に集中できるものを見つけることができれば、生きる喜びへと変わることができます。

とはいえ、
「目の前に集中できないから苦しんでいるのだ」
というお声も聞えてきそうです。

それでも、生きづらさを何とかしたいと思って下さるのであれば
・好き、やってみたいという気持ちに、改めて目を向けてみる
・小さなことから始めてみる
・完璧を目指さない
・自分を責めない
ことが、おススメになります。

まずは、
・どんなことに過去、集中してきたのか
・今、どんなことに興味があるのか
振り返ってみませんか?

生きる喜び

生きづらさを抱えていても、今、少しでもなにか興味を持てるものがあれば、小さなことからはじめてみませんか?
少しでもチャレンジできたのなら、あなたの人生を変えてくれる一歩となることだと思います。

そのとき、空回りしていた心のエンジンも、再始動し始めることと思います。

そしてなによりもこれだけ「集中したい」という欲求が強い、生きづらさを抱えた私たち。
「熱狂できるほどのものを見つける才能も同時に持ち合わせている」
根拠ともなるのかもしれません。

熱狂するほど没頭できるなにかを見つけられたとき。
あなたの生きづらさは、生きる喜びに出会わせてくれる宝物になるのかもしれません。

あなたの生きづらさを生きる喜びにかえるヒントの1つになれば、幸いです。



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