「私なんて、いないほうがいい」
私は過去、何度か集団の仲間はずれを経験しています。
仲間外れ
実際、仲間はずれされるようなことを、正直、しました。
負けず嫌いすぎて、ゲームで負けそうになったら、突然やめていなくなるのを繰り返す、とか。
私の感情を全部態度で表して、わがまま、人の気持ちなんかおかまいなしとか
チームで動いているのに、協調性がないとか
理由はいっぱいあったのです。
自分も人と一緒になって、自分を嫌ってきた
「私なんていないほうがいい」
人に嫌われていくにつれ、私は自分のことを嫌いになっていきます。
「私って、最低」
「自分が大嫌い」
どうしようもない自己嫌悪で苦しみました。
それは、周りが私を嫌うのと一緒になって、自分のことを嫌いになっていたのです。
噂話で変わる態度
まるで、周りの人が
「あの人、嫌いなんだよね」
と、噂しているのをきいたとき。
私は別にその人のことを嫌いじゃなかった。
なのに、突然嫌いになった。
それと似ているのかもしれません。
私も周りと一緒になって、自分のことを嫌いになっていました。
私は今まで仲良しで、なにかがあったわけではないのに突然態度が変わった人をみて
「あぁ、なにか噂きいたんだろうな」
って、ものすごく悲しかったのです。
でも、それは、自分がしてきたのです。
自分がするように相手もするだろうと投影していただけだったんです。
自分がするように相手もするだろうと投影していただけだったんです。
味方でい続けてくれた人はいた
いいときもわるいときも、味方で居続けてくれた人はどんなときも、一人は必ずいました。
その人の思いって、どれだけの強さと信頼と愛情があるんだろうって思います。
その人は、私が自分のことを
「私なんて、いないほいがいい」
「私って最低」
と、思い続けて、自分を責めて、自分を嫌うのを、みたいのでしょうか。
もちろん、ふるまいを整えていく必要はありますが
その人は
私に幸せでいてほしい
と、願い続けてくれているのだと思います。
それって、どれだけの「祈り」なのでしょう。
それって、どれだけの「祈り」なのでしょう。
私も、そうでありたいなと思います。それは、人に対しても、自分に対しても。
あなたも、自分を嫌っていませんか?
あなたも、誰かに好かれなかったからといって、その人と同じように、自分を嫌っていませんか?
その誰かは、もしかしたらあなたの好きだった人かもしれません。
恋人、友達、あこがれの人、先生、両親。
その人に好かれなかったことは、本当に悲しくて、苦しくて、傷ついたことと思います。
その心の痛みに必要なのは、自分を罰することではありません。
自分をきらってきたその人と一緒になって、あなたも自分のことを嫌ったとしたら。
あなたは、もっと独りぼっちになってしまいます。
癒しどころか、さらに傷を深めてしまいます。
その心の痛みに必要なのは、自分を罰することではありません。
自分をきらってきたその人と一緒になって、あなたも自分のことを嫌ったとしたら。
あなたは、もっと独りぼっちになってしまいます。
癒しどころか、さらに傷を深めてしまいます。
あなたのことを、しんどい状況のなかでも、味方してくれた人、だれかひとりくらいいたのではないでしょうか。
その人の思いは、どんなものでしょう。
「あなたに、幸せでいてほしい」
「味方だからね、応援しているから」
あなたは、その人の思いを受け取っていますか?
台無しにしていませんか?
他でもないその人の思い、大切に受け取りませんか?
受け取れたら、癒しはおこります。
心が癒されると、気持ちが落ち着きます。
そうなって初めて、ふるまいというものも、心から整っていきます。
自分を罰し続けてふるまいを整えようとしても、限界があるものです。
そして、あなたも、誰かの味方になってあげても、いいのかもしれません。
それもまた、あなたに投影としてかえってきます。
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それもまた、あなたに投影としてかえってきます。
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いしだちさ