父に会ってきました~

娘と父とパチリ
父と会うのは、一年半ぶりでした。
前回は、カウンセリングサービスで行われる講演会の予選に落ちて
「父の顔を見たら元気になれる気がする」
と、父に会いに行ったのでした。
このとき、プレゼン経験の多い父から
「ちゃんと聞いてくれている人の立場に立っているのか?」
などのアドバイスをもらいました。
そして、そのおかげもあって無事に、父に
「本選受かったよ~、ありがとう。
なんと、3月末に、初講座開催があるんだよ」
と、顔を見て報告できて、改めてお礼ができました。
幸せでした♡

漁師盛り。
父とランチを一緒に食べました。
そこで、娘が料理関係の学校に進学すると報告すると、話は父の実家の料亭の話に広がりました。
父の激動の人生
父の実家は、かつて幕府お抱えの料亭を営んでいました。
明治時代を迎えて、地域一帯を維持するために昭和初期まで遊郭だった時代がありました。
時代に翻弄もされ、変化してきた場所でもあります。
遊郭であったことについては、父は触れません。
触れられないのかもしれません。
私は、最近、ネットで初めて知り、衝撃を受けもしました。
そんな幼いころの父は、高級な料理を家族で食べるより、まかないを職人さんと食べたほうがおいしかったと思っていたそうです。
高校生のころから徹夜で麻雀していた話まで飛び出しました。
父の兄が勝手に料亭を畳み、財産を独り占めして、祖母が一文無しになってしまったこと。
父が長く勤めていたテレビの裏側の裏側のあれこれ
「今、世間を騒がせている話題なんて、日常すぎて。
力と金が集まる場所は物騒だから、気を付けなさい」
そういう父の表情は、どこか達観もしていました
この日、一番心に残ったのは、父のこの言葉でした。
「怒りたくなったら、10秒黙れ」
私は言葉を飲み込んで生きてきたのに、さらに飲み込めと言うのか?
どうしようもなく胸が苦しくなったけれども、
でも、あれは、父が自分に言い続けた言葉だったのでした。
だれかが言うつよい言葉は、多くは、自分に言っている言葉とも言えます。
父があんなにも黙り続けて、家族を無視し続けたようにみえたのは、
どうしようもない圧倒的な力に支配されていくことの
どうしようもない理不尽さと
そのはざまで感じる興奮と喜びと
ないまぜになったまま生きてきて
怒りをぶつければすべてを破壊してしまうと思って
ただ、口をつぐむしかなかった父の生きてきた道だったのです。
父も、高齢になってきて
病気も抱えています。
口をつぐむしかなった父だけれども、
それでも、娘と孫に、伝えておくことは伝えておきたいと
父も思ってくれているのかもしれません。
どうして私がこんなに言葉を飲み込んで生きてきたのか。
なぜ、こんなに罪悪感が強いのか。
夜に惹かれて、闇に行こうとしていたのか。
父を、両親を、理解すると自分自身もみえてきます。
そこにはご先祖さまやともに生きた人の長い多くの涙が流され、ともに喜びあった歴史があること。
私自身にも歴史の連鎖のかけらが、自分のなかにつながっているのを感じたのでした。
両親に触れると、
「自分のルーツはここだったのか」
と、腑に落ちることも多いものです。
両親とお話していますか?
私は心理学を学ばなかったら、両親の離婚後、父に連絡をとることもなく
もし、父が他界したとしても、お葬式にも行かなかったと思います。
(もちろん今、父は生きて元気でいてくれています💦)
もう、あの人は関係ない人だからと。
父との関係はたくさんの涙があって
父も再婚しているからと、私と会うことも父から断られることもあるし
傷つくこともたくさんあって
「もう父には会えないんだな」
そう思ったことは、一度や二度ではありません。
それでも、私は、父が大好き。
父に会いたい。
傷つくくらい、好きなんだと、何度も何度も勇気を出して。
父に連絡をしてきました。
それでも会いたいと思うのは、まるで、失った私のかけらを拾い集めたいとも思うからなのかもしれません。
かけらとは、
お父さんが大好きだという私の思いそのものであり、
父の遺伝子を持つ私そのもの。
そして、父の愛なんていらない
と、受け取らずに私が投げ捨てた、たくさんのかけらもまた
お父さん、ごめんね、ありがとう
と、拾い集めたいと、思っているのだと思います。
父は、今回もまた、あまり体調がよくないなか、会ってくれました。
「次は中華街な」
と、珍しく次の予定まで立ててくれた。
父の愛を、受け取りました。
もう、会えないのなら、心の中で、訪ねてみませんか?
お墓があるのなら、お墓を訪ねてみませんか?
そこに、あなたの大切な「かけら」があるのかも、しれません。
あなたの、お父さんお母さんが大好き(だった)という思い。
そして、ご両親の遺伝子を持つ、あなたそのもの、
そして、ご両親からの愛
なのかもしれません。

娘と父とパチリ
父と会うのは、一年半ぶりでした。
前回は、カウンセリングサービスで行われる講演会の予選に落ちて
「父の顔を見たら元気になれる気がする」
と、父に会いに行ったのでした。
このとき、プレゼン経験の多い父から
「ちゃんと聞いてくれている人の立場に立っているのか?」
などのアドバイスをもらいました。
そして、そのおかげもあって無事に、父に
「本選受かったよ~、ありがとう。
なんと、3月末に、初講座開催があるんだよ」
と、顔を見て報告できて、改めてお礼ができました。
幸せでした♡

漁師盛り。
父とランチを一緒に食べました。
そこで、娘が料理関係の学校に進学すると報告すると、話は父の実家の料亭の話に広がりました。
父の激動の人生
父の実家は、かつて幕府お抱えの料亭を営んでいました。
明治時代を迎えて、地域一帯を維持するために昭和初期まで遊郭だった時代がありました。
時代に翻弄もされ、変化してきた場所でもあります。
遊郭であったことについては、父は触れません。
触れられないのかもしれません。
私は、最近、ネットで初めて知り、衝撃を受けもしました。
そんな幼いころの父は、高級な料理を家族で食べるより、まかないを職人さんと食べたほうがおいしかったと思っていたそうです。
高校生のころから徹夜で麻雀していた話まで飛び出しました。
父の兄が勝手に料亭を畳み、財産を独り占めして、祖母が一文無しになってしまったこと。
父が長く勤めていたテレビの裏側の裏側のあれこれ
「今、世間を騒がせている話題なんて、日常すぎて。
力と金が集まる場所は物騒だから、気を付けなさい」
そういう父の表情は、どこか達観もしていました
「怒りたくなったら、10秒黙れ」
この日、一番心に残ったのは、父のこの言葉でした。
「怒りたくなったら、10秒黙れ」
私は言葉を飲み込んで生きてきたのに、さらに飲み込めと言うのか?
どうしようもなく胸が苦しくなったけれども、
でも、あれは、父が自分に言い続けた言葉だったのでした。
だれかが言うつよい言葉は、多くは、自分に言っている言葉とも言えます。
父があんなにも黙り続けて、家族を無視し続けたようにみえたのは、
どうしようもない圧倒的な力に支配されていくことの
どうしようもない理不尽さと
そのはざまで感じる興奮と喜びと
ないまぜになったまま生きてきて
怒りをぶつければすべてを破壊してしまうと思って
ただ、口をつぐむしかなかった父の生きてきた道だったのです。
父も、高齢になってきて
病気も抱えています。
口をつぐむしかなった父だけれども、
それでも、娘と孫に、伝えておくことは伝えておきたいと
父も思ってくれているのかもしれません。
父を理解すると、私自身もみえてきます。
どうして私がこんなに言葉を飲み込んで生きてきたのか。
なぜ、こんなに罪悪感が強いのか。
夜に惹かれて、闇に行こうとしていたのか。
父を、両親を、理解すると自分自身もみえてきます。
そこにはご先祖さまやともに生きた人の長い多くの涙が流され、ともに喜びあった歴史があること。
私自身にも歴史の連鎖のかけらが、自分のなかにつながっているのを感じたのでした。
両親に触れると、
「自分のルーツはここだったのか」
と、腑に落ちることも多いものです。
両親とお話していますか?
私は心理学を学ばなかったら、両親の離婚後、父に連絡をとることもなくもし、父が他界したとしても、お葬式にも行かなかったと思います。
(もちろん今、父は生きて元気でいてくれています💦)
もう、あの人は関係ない人だからと。
父との関係はたくさんの涙があって
父も再婚しているからと、私と会うことも父から断られることもあるし
傷つくこともたくさんあって
「もう父には会えないんだな」
そう思ったことは、一度や二度ではありません。
それでも、私は、父が大好き。
父に会いたい。
傷つくくらい、好きなんだと、何度も何度も勇気を出して。
父に連絡をしてきました。
それでも会いたいと思うのは、まるで、失った私のかけらを拾い集めたいとも思うからなのかもしれません。
かけらとは、
お父さんが大好きだという私の思いそのものであり、
父の遺伝子を持つ私そのもの。
そして、父の愛なんていらない
と、受け取らずに私が投げ捨てた、たくさんのかけらもまた
お父さん、ごめんね、ありがとう
と、拾い集めたいと、思っているのだと思います。
父は、今回もまた、あまり体調がよくないなか、会ってくれました。
「次は中華街な」
と、珍しく次の予定まで立ててくれた。
父の愛を、受け取りました。
もし、あなたも自分のかけらを失っているように感じるのなら。
ご両親に連絡してみませんか?もう、会えないのなら、心の中で、訪ねてみませんか?
お墓があるのなら、お墓を訪ねてみませんか?
そこに、あなたの大切な「かけら」があるのかも、しれません。
あなたの、お父さんお母さんが大好き(だった)という思い。
そして、ご両親の遺伝子を持つ、あなたそのもの、
そして、ご両親からの愛
なのかもしれません。