カウンセリングサービス いしだちさです。
おはようございます。
ご覧くださりありがとうございます。
「生きているだけでいいよ」
私が妊娠したとき
「子育てのアドバイスをお願いします!」
と、弊社代表の平にもらった言葉です。
「生きているだけでいいよ」
そうなんだ!わりとびっくりしたのです。
「愛を与える」
とか
「子育てを楽しんで」
とかではないんだなぁと、意外だったからです。
出産を経て
実際の2度の出産は、本当に感動でした。
生まれてきてくれて、本当にありがとうと、思いました。
人生で一番うれしかった瞬間は出産でこどもたちに会えたことです。
でも、育児いろんなことがありました。
24時365日。
いいお母さんでいられない日もあります。
産後のホルモンのバランスを崩して気持ちが不安定で苦しんだ日々もありました。
我が子も抱っこしても泣き止まなくて、母親失格なんじゃないかと思ったこともあります。
「生きているだけでいいよ」
そうアドバイスをもらえたことは、私の育児から理想の育児、理想の母親、こうやらねば!の肩の荷をおろしてくれました。
また、2人目のこどもは発達障がいの診断がおりています。
その診断がおりたことで、「こういうこどもに育ってほしい」という思いより、我が子の幸せを願って、信じて、生きようと思っています。
また、小学校に入るまでの日々は、たびたび迷子になるこどもを探し回る日々でした。
「どこにいるの?お願い、生きていて!」
と、必死で探す私は、生きているだけでいい!を、心底実感した日々でした。
「どこにいるの?お願い、生きていて!」
と、必死で探す私は、生きているだけでいい!を、心底実感した日々でした。
私自身も、生きているだけでいい
私自身は親から情熱と希望と時間とお金とたくさんのエネルギーをかけてもらいました。
でも、私は大学受験合格後、起き上がれなくなってしまいました。
申し訳ない、生きている価値がないなと、正直思いました。
でも、申し訳ないなと思うのに、それが言えずに暴れました。
暴れた反動なのか、鬱で家から出なかった時期もあります。
でも、あれだけ理想を実現するための努力をおしまない母は、
「私の宝なんだよ。離婚しても生きてこれたのはこどもたちがいたから」
と、ただただ存在を認めてくれたのでした。
離婚して女手一つになっていた母は、私の状態にどれだけ心細く、心を痛めたのかと今なら、思います。
あの言葉にいたるのに、母はどれだけ絶望し、そして絶望の淵からどれだけの勇気をもって、私を見てくれたんだろう、と、今では感謝で泣けてきます。
でも、当時私は受け取れなかったのです。うれしかったのですが、見ないふりをしました。
私が、両親への愛を止めてしまっていたから。
私が、自分の人生を両親のせいに、してしなっていたから。
私たちはごめんなさい、という罪悪感は「愛を受け取らせない」ようにします。
無価値感は、愛にふさわしくないと思わせます。
そして、私たちは「幸せから遠ざかり」ます。
幸せにならないことが、「親への最大の復讐」だとどこかで知っています。
たしかに、両親はもしかしたら不器用だったかもしれないです。
私たちの望む形での愛情表現はもらえなかったかもしれません。
でも、どこかで「愛されていた」ことを、なんとなくでも知っているからなのではないかなと私は、思っています。
私たちの望む形での愛情表現はもらえなかったかもしれません。
でも、どこかで「愛されていた」ことを、なんとなくでも知っているからなのではないかなと私は、思っています。

犠牲が愛に変わる
「こどもに与えるって、楽しいじゃない。ただ、それが楽しかっただけなんだと思うよ」
そう、伝えてくれた方がいました。
私も、たしかにこどもに与えることで、楽しい時間をたくさんたくさん過ごしてきたと、思っています。
たくさんのことを、こどもたちと一緒に過ごしてきました。
でも、私は私の理想を押し付けないようにする意味でも、なにかを遠慮しているところはあるなぁとは、ずっと思っていたのです。
たくさんのことを、こどもたちと一緒に過ごしてきました。
でも、私は私の理想を押し付けないようにする意味でも、なにかを遠慮しているところはあるなぁとは、ずっと思っていたのです。
そんな私も、じんわり実感するのです。
私自身も母と一緒に勉強したり、ピアノを練習したりする時間は楽しかった!と思い出しました。
そして、私も、こどもたちとも夫ともたくさんお日々を一緒に過ごしてきた家族の存在が愛おしくて、小学校と仕事に行った家族を思い、アルバムを見て、また涙です笑。
私は本当に今まで、私は役に立たないと、期待にこたえないと、存在を認めてもらえないんだと、たくさん犠牲してきました。
犠牲がゆえ、ハードワークになりがちで、それゆえ、しんどくなって爆発したり、鬱を繰り返していました。
「生きているだけでいいよ」
この思いを、私はちょっとずつですが、受け取れるようになりました。犠牲ではない形で私は人と愛を与えたいし、受けとりたいと思うようになりました。
「生きているだけでいいよ」は、土台のあるスタートになる。
役に立たないと、期待にこたえないと、存在を認めてもらえないという生き方は、土台がないところで一生懸命愛を与えようと、受け取ろうと、必死になっている状態です。
生きているだけでいいよ。と、思えることによって、土台になってくれます。
私は、人は生きている以上、本当はたくさんの愛を与えたい存在だと私は思っています。
生きているだけでいいと思えることは、土台となってくれます。
土台があると、与えたい存在である私たちは、大切な人たちと心から愛を与え、受け取れるようになっていくと、私の実体験から、思っています。
そして、人生かけて学んだことを、活かせ、実際に愛を与え受けとるというカウンセリングというお仕事をさせてもらって、私はとっても幸せものだなぁ✨と、思っています。

どなたさまも電話カウンセリングは初回無
料でご利用いただけます。
【カウンセリング予約センター】
Tel:06-6190-5131 & 06-6190-5613
受付時間=12:00~20:30 月曜定休
(祝日の場合は翌日代休)
カウンセリングサービス所属カウンセラー
いしだちさ
発達障がい児の子育ての経験を通し、生き
辛さの根っこにある未消化な思いや痛みに
動じること無く、穏やかに寄り添い最後ま
でクライアントさんを支えます。
また隠された才能や魅力を見つけ光を当て
ることで、生きる力を一緒に育てます。
「話すことの全てを大切にしてくれて特別
な安心感がある」とご感想をいただいてい
ます。


